ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ
夢野久作(1935)

ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ

Kindle青空文庫→途中から角川文庫で読了。
名すらも忘れた青年の話であり自問自答がしばらく続くため、最初は冗長な小説だとなかなか読み進まず。
その後スチャラカチャカポコ言い始め、今度こそ止めてやると思わざるを得なかったが、なんとか読み続けてよかった。
最後の方は転換に次ぐ転換で息をつく間もなく終わりを迎えられた。

描かれる精神医学の説明はもちろん(唯物科学的には)非科学的なのだが、生物学・医学に疎い私にはなかなか興味深く感じられた。
精神医学とは直接関係ない点ではあるが、今まで無批判に受け入れてきた胎児が原初の生命から人までの進化の足跡を辿ることを改めて考えると、進化を後天的に得られるものでは無いとするならば、果たして人に至るまでの足跡のうち進化を続けてきた部分というのはどこに保存されているのだろうかという疑問に駆られた。
是非制物に詳しい人間に問うてみたい。

作中に論文や調書、歌、古文調の縁起まで出てくる上にそのいずれが嘘か真か、現実か虚構かも分からない構成は確かに理解し難い部分もあるが、本質的に理解し得るものではないと決め込んでしまえばどうということはない。
むしろ、作中作のドグラ・マグラに対して作中で解説を加えてくれたりと、最低限理解すべき・注意すべき箇所(例えば時計の音で始まり、終わることはこの1500枚にも及ぶ小説が気狂いの見た一時の夢に過ぎない可能性を示唆しているということ)は文中に示されており、私のような愚かな読み手でもメタフィクショナルな作りについて色々と思いを巡らせることができた。いつもは解説を読んではあはあと思うことも多い私としては、なかなかに嬉しい工夫であった。

作中の語り部たる私とは誰なのか、事件の犯人は結局誰なのか、そもそも今は何時なのか、様々な解釈を許し得るドグラ・マグラであるが、少なくとも語り部の正体については、まさに文中で述べられているようにドグラ・マグラは胎児の夢であり、モヨ子の腹に宿りし一郎の胤という風に一読しただけでは読めた。
それにしてもいずれの解釈をとるにせよ、様々な矛盾(と呼ぶべきではないだろうが)があるようで好きな人は何度でも読み返せるのだろう。

精神に異常を来すとの枕詞で語られる本作だが、現代の極めて深い懐を持った枠組みで考えれば、十二部に探偵小説としての面白みを発揮しており、冗長さこそあれど比較的読みやすい小説ではないだろうか。